キャリアコンサルタント養成講習、GCDF-Japanキャリアカウンセラートレーニングプログラム。

インタビュー

修了生インタビュー

岡田おかだ昌毅まさき

筑波大学 人間系 特任教授 / 働く人への心理支援開発研究センター長 / キャリアコンサルティング協議会 会長

なんで、そこで話を変えるの?

キャリアコンサルティング協議会会長・筑波大学教授、その原点はGCDFにあった

岡田昌毅先生のインタビュー写真

国家資格キャリアコンサルタント──。その制度を担う中核団体が、キャリアコンサルティング協議会です。その会長を務め、いまなお筑波大学の教授として研究と教育を牽引する岡田昌毅先生。日本のキャリア支援を、学術と制度の両面から支えてこられた一人です。その岡田先生が、自らの支援の礎として挙げたのは二つ。一つは、大学院から続く渡辺三枝子先生からの学び。そしてもう一つが、意外にも、GCDF-Japan養成講座の中で講師から投げかけられた、たった一言の「指摘」でした。電気工学を学び、新日本製鐵のエンジニアとして社会に出た岡田先生は、「人」への関心を頼りに人材育成の世界へと転じ、やがて学者として大学に身を置きます。本記事では、岡田先生の歩みと実践を通して、GCDF(キャリアコンサルティングの学び)が、現代社会にどう作用するのかに迫ります。

「人」への関心は、小さな小学校の先生から

岡田先生は電気工学を学ばれ、新日鉄にエンジニアとして入社されています。そこから「人の成長」へと関心が移っていったわけですが、その原点には何があったのでしょうか。

振り返って思い出すのは、小学校の5年生、6年生の頃のことです。京都・舞鶴の、かなり奥まったところにある小さな小学校に転校しましてね。1学年に23〜24人しかいないような学校でした。そこで2年間、担任をしてくださったのが、西川先生という方でした。

その先生は、もともと分校で教えておられたのですが、分校にいた知的障害のある女の子が本校で学ぶことになり、その子に合わせて本校の担任になられたんです。西川先生は、その子をきちんと育てながら、私たちの授業も同時に進めていく。それを2年間、ずっとそばで見ていました。どのような状況にある生徒でも、分け隔てなく育てていこうとする──私にとっての「理想の先生」は、いつしか西川先生になっていました。

学校の先生という職業に、心が動いたことは何度かあります。ただ、自分の中に「先生はいかなる時も、人に平等で公平でなければならない」という、ある種の思い込みのようなものがあって。それを思うたび頭に浮かぶのが西川先生で、「自分にはとてもできない」と。それで、先生になる道は心の奥にしまうこととしました。でも、「人」への興味は、きっとあの頃から始まっていたのだろうと思います。

エンジニアという仕事には、どのような違和感を感じられたのでしょうか。

最初に感じたのは、大学に入った時です。高校までの物理や化学は概念的な理解で済んでいたのが、大学では電気の現象を微分方程式や積分でモデル化していく。「自分が思い描いていたのとは違うな」と。うまく興味が持てないまま、エンジニアとしての基礎を十分に身につけきれずに卒業してしまった、というところがあります。

新卒で新日鉄を選んだ動機も、「電気のエンジニアとして、こうしたい」ということよりも、リクルーターの方の話の中で、私の心に響いたのは「人を大切にする会社です」という一言だったんです。仕事の中身ではなく、「人を大切にする」というところに惹かれて入社した。いま思えば、その時からすでに「人」への関心が表れていたのかもしれません。

「何もできなかった」── 無力感という出発点

エンジニアを5年半務められた後、社内公募で人材育成の分野に移られます。その中で、職種転換教育という仕事が、大きな経験になったと伺っています。

エンジニアを続けるのは難しい、という思いを入社から3年、4年と抱えながら、満5年で社内公募に応募しました。「物や機械ではなく、自分の関心はやはり人なのではないか」。そう整理がついてきて、教育ビジネスの企画書を一枚、書いて出したんです。それが出発点でした。出向先でビジネスの基本や、人材育成のイロハを叩き込んでもらい、やがて新日鉄ソリューションズ(現・日鉄ソリューションズ)につながる事業部で、人材育成を担当するようになりました。

その中で出会ったのが、職種転換教育です。エレクトロニクス系からIT系へと、技術者の専門を転換していく教育で、1年半で120人ほどが対象でした。ただ、そのうち2〜3割ほどの方は、なかなか転換が進まず、悩んでおられた。

―― その時に、無力感のようなものを感じられたと。

そうですね。「人に関わる仕事がしたい」と言って出てきたのに、結局、何もできていないじゃないか、と。技術を身につけてもらうことが第一の課題ではあります。それでも、モチベーションが下がっている方の、せめて気持ちの部分くらいは支えられるだろう、と思っていた。ところが、それすらできなかった。どうすればいいのかが、はっきりとわからなかったんです。

できることは、我流で、ただ励ますだけ。いまで言う傾聴のようなものではなく、かえってその人を追い詰めていたかもしれない。割り切れない思いを、自分が受け止めきれなかった。その情けなさが、ずっと残りました。

それが、カウンセリングを学ぶという決意につながっていくのですね。

要は、武器を持っていないな、と感じたんです。いまで言うリスキリングですね。まだインターネットのない時代ですから、本屋に足を運んで、本や雑誌を片端から調べる。その中で、「カウンセリングを学べば、あの時の自分にも何かできたのではないか」と考えるようになって。それで、筑波大学の社会人大学院、カウンセリングコースに進みました。一度は書類とペーパーテストで落ち、心理学を予備校でゼロから学び直して、二度目でようやく合格です。新宿のオフィスから夜の授業へダッシュで通い、21時に終わればまた職場へ戻る。働き方改革の前ですから、深夜タクシーで帰る毎日でした。ただ、この2年間で、私は初めて「キャリア」という概念に出会います。渡辺三枝子先生(※)から、じかに教えていただいたんです。そして、渡辺先生との学びは、この修了で終わったわけではありません。以来、折にふれてご指導をいただいてきました。私のキャリア支援の根っこには、いつも渡辺先生がおられます。

※渡辺三枝子(わたなべ みえこ)先生=筑波大学名誉教授。カウンセリング心理学・職業心理学を専門とし、日本のキャリアカウンセリング研究を切り拓いた第一人者。『新版 キャリアの心理学』(編著)などで知られる。GCDF-Japan養成講座の監修者であり、キャリアカウンセリング協会(CCA)の特別研究会員も務める。

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「なんで、そこで話を変えるの?」── GCDFとの出会い

大学院を修了された2000年に、GCDFを学ばれます。これはどういう経緯だったのでしょうか。

渡辺三枝子先生がGCDF-Japanキャリアカウンセラートレーニングプログラム(※)の監修をされていて、「大学院を修了したのだから、あなたの目で、いま進めているこの講座を見てみてください」と言われたんです。ただ見るだけでは何ですから、「では、私も一緒に受けさせてください」と。結果、どっぷり受講させてもらいました。当時はまだ試行実施の段階で、カリキュラムも固まっておらず、毎回その日に使う資料が配られるような状態です。ちなみに私の認定番号は21番。本当に、初期も初期のことでした。

学ばれてみて、いかがでしたか。

いまでも忘れられない場面があります。ヘルピングの講座で、講師は橋本幸晴先生(※)でした。ロールプレイをするという段になって、誰も手を挙げない。それで私が手を挙げて、カウンセラー役をやったんです。相談が始まって、割と早い段階で、私が「ちょっと話は変わりますが」と口にした。その瞬間、橋本先生から、「なんで、そこで話を変えるの?」と叱られたんです。

相手がいま、とても大切なことを話している。それをしっかり受け止めて、返していかなければならない、まさにその時に、なぜ話を変えようとするのか、と。初日の出来事だったと思いますが、あれは、衝撃でした。

大学院で学ばれた後でも、その指摘は刺さったわけですね。

大学院のカウンセリングコースというのは、学問として、実践学としてカウンセリングを学ぶ場なんです。ロールプレイのような訓練は、あまりない。心理学を土台に、産業領域だけでなく、学校・教育・福祉・家族の領域と、広く学んでいく。そして橋本先生に叱られて、「ああ、自分はまだ、本当に入口に立ったばかりなんだ」と思い知った。支援者として実際の訓練を受けた出発点は、間違いなくGCDFでした。

その後は、依頼があればクライアント役を必ず引き受ける、ということを2年ほど続けました。ロールプレイの一つひとつに、学ぶことがいくらでもある。そう感じていたからです。

※GCDF=GCDF-Japanキャリアカウンセラートレーニングプログラム(本文では以下「GCDF養成講座」)。渡辺三枝子先生監修の理論体系にもとづく、約3か月・12日間の実践的プログラム。主催はキャリアカウンセリング協会(以下、CCA)。

※橋本幸晴(はしもとゆきはる)先生=現キャリアカウンセリング協会特別講師。

言葉を、選び抜くということ ──「あしたのキャリア相談室」

GCDFの学びの延長線上で、「あしたのキャリア相談室」というWeb上でのカウンセリングもされたそうですね。

これは私にとって、本当に大きな学びになりました。2000年代の初め頃に、リクルートさんが試行実施されていた、ウェブ上でのキャリアカウンセリングです。相談者から送られてくる相談を読み、それを文章で回答する。それを3往復。1年半で、170件ほど対応したと思います。

文字だけの、しかも限られた情報しかわからない状態で、やりとりをするんです。この方は何に悩んでおられるのか、どのような思いを持っておられるのか、どんな背景があるのか、周囲の状況をどう読めばいいのか......。まずは、とにかく必死に読む。そのうえで、どう返すか。文字ですから、相手は何度でも読み返せます。だからこそ、どんな言葉で、どう返せば、この方にどう届くのか。それを考えて、考えて、考え抜くんです。夜に届いた相談に回答を書いて、一晩寝かせる。翌日もう一度読み返して、また一晩寝かせる。それくらいやって、ようやく返していました。

間を置けるからこそ、言葉を選び抜ける、と。

そうなんです。SNSのように、ポンポンと速くやりとりする形は、私には怖くて、とてもできません。「この言葉は、本当に書いていいのだろうか」。そこを突き詰めないまま出すのは、やはり怖い。逆に言えば、口頭での会話も、本当はそれくらい怖いことなのかもしれません。言葉を本当に大切にするという感覚は、この経験で、ずいぶん育まれたように思います。

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個人と組織に、同時に働きかける ── 若手育成施策と三者面談

カウンセリングやGCDFで学ばれたことを、企業の現場でどう実装されたのでしょうか。

学んできたことを、会社の人材育成に応用したい。それは、ずっと考えていたことでした。幸いにも会社では教育や研修にまつわる仕事が潤沢にある。例えば入社2年目の社員を対象とした研修では、若手から、「仕事はとにかく忙しい」「でも、なぜ自分はいまこの仕事をしているのか、何の役に立つのか、つい考えてしまう」という声を、本当によく聞いたんです。上司はそれを伝えきれていないし、本人も受け止めきれていない。働く意味、仕事の意義を、きちんと伝え合える場が要るのではないか。そう考えて、施策の軸に据えたのが「三者面談」でした。

三者面談、というのは。

入社後の3年間を若手育成期間と定め、若手一人に、育成役の上司を一人つけます。そこへ、キャリアコンサルタント役が第三者として加わり、年1回1時間あまり、三者で面談をする。上司には3年間の育成計画を作ってもらい、それを机の中で眠らせず、面談の場で本人に直接語ってもらうんです。上司は部下に「どう育てたいか」を伝え、部下も希望を述べ、すり合わせて合意していく。一対一ではなく、第三者が両者をファシリテートしながら進める。ここが肝でした。

たとえば、価値観を書き出すシートをその場で上司と部下に記入してもらい、互いに説明し合う。あるいは上司に「最もやりがいを感じた仕事」「二度としたくない仕事」を語ってもらい、部下に聞いてもらう。人と人が分かり合うための仕掛けを、いくつも重ねていきました。上司には、コーチング研修も必須にしています。「これは若手育成と言いながら、実は上司育成だろう」とよく言われましたが、まさにその通りでもあったんです。

個人だけでなく、組織そのものに働きかける実践ですね。

いまを生きる若手に、自分は何のために働くのかを意識してもらう。それと同時に、この施策で育った若手が、やがてマネージャーになった時、今度は育てる側として、その経験を活かせないか。そういう中長期の狙いもありました。もちろん三者面談は、とても私一人では回せません。ですので、私の代わりを担っていただく体制も整えました。まさに、GCDFで学んだ方々に、現場の面談を担っていただいたわけです。

組織を動かす「したたかさ」

そうした組織への働きかけを進めるうえで、大切にされてきたことは何でしょうか。

ひとつ、申し上げておきたいことがあります。「キャリア支援を推進したい」と口で言うだけで、認めてもらえたわけでは、全くないんです。「何を甘いことを言っているんだ」「何が三者面談だ、小学生の親子面談か」と、面と向かって言われたこともありました。予算をつけてもらうには、まずこちらが、会社の求める仕事をしっかりやり切らなければならない。当時でいえば、全社の戦力調査に戦力分析、全社員のスキルの把握、全社の教育体系づくりなど。そうやって、会社が本来求める方向の仕事を、片方できっちり果たす。「あいつはちゃんとやるべきことをやっている。じゃあ、こいつの提案もひとつ認めてやろうか」と。そういう世界なんだと思います。

自分の芯は持ちながら、ということですね。

「成長を目指したい」「一人ひとりを大切にしたい」という芯は、絶対に外せません。でも、そこだけにフォーカスしても、組織とのwin-winの関係は築けない。組織として求められるものも、同時に実現していく。その矛盾だらけのものを、どう調和させていくか。それこそが、キャリアコンサルタントに求められることだと思っています。ある意味、いい意味で、したたかに。ずるく、腹黒く、ジトっと続ける、ということですね。

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インタビュアーを務めたのは、CCA理事長・平野裕之。

大学のセンターという結実 ── 個人と組織を、統合する

そして2006年、筑波大学へ移られます。企業でキャリア支援を充実させていた中での転身でした。

大学院で学んだことが、本当に充実していましたから。今度は自分が教員として、人を指導する側に立てるなら、これはとても魅力的だと思ったんです。採用されれば行く、されなければ、いまの仕事をさらに進化させる。そう腹を決めて教員公募に応募し、ご縁をいただきました。

大学に移ってからも、ずっと自分の中に残っていたのが、「キャリアセンターのようなものを作りたい」という思いでした。同僚の先生方と何度も話しながら構想を温めて、ようやく形になったのが、いまの「働く人への心理支援開発研究センター」です。「人材育成」「研究」「企業との協業」という3つの枠組みに、一人ひとりへのカウンセリング、支援者へのグループスーパービジョン、指導者の養成を束ねていく。個人と組織、その両方をどう統合するか。長年の問いが、ここに結実しようとしているように思います。

企業で実践されたことと、地続きなのですね。

そうですね。企業の中で様々なキャリア支援を行ってきた経験は、大学院で院生を指導する時にも、そのまま活きています。いや、「指導」というのは、いささかおこがましいですね。共に学び、成長していく。そんなスタンスでありたいと常々思っています。個人があり、組織があり、それをどう統合するか。研究があり、企業と連携するためのコンサルティングがあり、一人ひとりへのカウンセリングがあり、支援者のトレーニングや指導者の養成がある。それらが全部、一つのところへつながっていったのだろうと思います。

GCDFとは、何だったのか

岡田先生は、キャリアコンサルタントの国家資格を担う協議会の会長として、また筑波大学の教授として、日本のキャリア支援の中枢におられます。岡田先生にとってGCDFとはどのような存在だったのでしょうか。

一言では、言えないんです。カウンセリングコースで培った学術的な知見があり、その延長線上にGCDFがあって、橋本先生の「なぜ話を変えるんだ」も含めて学んでいった。それらが自分の中で混ざり合い、発酵していく中から、若手育成施策のような発想が生まれてきた。カウンセリングコースで学んだことと、GCDFで学んだこと、そして様々な仕事経験。それらすべてが、現場でのキャリア支援の実践につながっていったことは、間違いないんです。

面談を必修化したのも、GCDFの有資格者に面談を担っていただいたのも、センターを構想したのも、根っこは同じところにあります。そして、支援者として、指導者としての一番最初の一歩は、やはりGCDFの、あの橋本先生のトレーニングでした。数多くのクライアント役を務めさせてもらったのも、GCDFの中でのことです。すべては、あそこから始まっているんです。

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これから学ぶ方へ

最後に、これから養成講座を学ばれる方へ、メッセージをお願いします。

しっかりとした自分の考えを持ったうえで、粘り強く、めげずに続けるしかない、と思います。ただ、それは信念を頑固に曲げない、ということではありません。必要なら、柔軟に考え直す。そして、大半のことは自分一人ではできませんから、人の力を借りる。その大前提として、とにかく、人に感謝をする。感謝をしながら、人の力を借りて、諦めずに続けていく。

もう一つ、大切にしてほしいことがあります。それは、素直に学ぶ姿勢と、誠実に自分を省みること。そして、けっして慢心しない謙虚さです。その積み重ねが、目の前の相手との信頼を築き、深めていくのだと思います。

私たち支援の現場に立つ者は、なにも、完成された存在である必要はありません。むしろ、自らを問い直しながら、いつまでも進化し続ける。そういう存在でありたいと、私自身、いまも思っています。人が生涯をかけて発達し続けるように、支援する側もまた、生涯、育ち続けていくのだと思います。

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プロフィール

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岡田 昌毅(おかだ まさき)先生 筑波大学 人間系 特任教授 / 働く人への心理支援開発研究センター長 / キャリアコンサルティング協議会 会長

保有資格: 1級キャリアコンサルティング技能士 / 公認心理師 / 米国CCE認定 GCDFキャリアカウンセラー(認定番号21) / 博士(心理学)

キャリア心理学・キャリア発達を専門とし、働く人への心理支援を研究と実践の両面から牽引。大学院でのカウンセラー養成、企業との協業、個人へのキャリア支援を一体で担うセンターを率いる。キャリアコンサルタント国家資格の制度を担う協議会の会長も務めるなど、日本のキャリア支援を長く支えてきた一人。

筑波大学人間系特任教授、働く人への心理支援開発研究センター長、キャリアコンサルティング協議会会長。電気工学を学び、新日本製鐵にエンジニアとして入社後、人材育成の世界へ転じる。筑波大学大学院でカウンセリングを、続いてGCDFを学び、企業内でのキャリア支援実践を経て、2006年に筑波大学へ。キャリア心理学・キャリア発達を専門とし、産業・組織心理学会会長などを歴任。研究・教育・制度の各面から、働く人とその支援者を支え続けてきた一人。

保有資格・主な肩書

キャリアコンサルティング協議会 会長 / 筑波大学 働く人への心理支援開発研究センター長 / 1級キャリアコンサルティング技能士 / 公認心理師 / 米国CCE認定 GCDFキャリアカウンセラー(認定番号21) / 博士(心理学・名古屋大学) / 元・産業・組織心理学会 会長 / 2023年度 筑波大学ベストファカルティメンバー

略歴

1983年東京都立大学 工学部 電気工学科 卒業。新日本製鐵株式会社 入社
1988年社内公募により、教育ビジネス、人材育成の分野へ
2000年筑波大学大学院 教育研究科 カウンセリング専攻 修了(修士・カウンセリング)
2001年GCDF認定(認定番号21/試行実施期に参画)
2002年新日鉄ソリューションズ株式会社へ
2006年同社退社、筑波大学大学院 人間総合科学研究科 准教授に就任
2007年博士(心理学)取得(名古屋大学)
2010年筑波大学 人間系 教授
2019年働く人への心理支援開発研究センター 設立・センター長
2021年キャリアコンサルティング協議会 会長
2025年筑波大学 人間系 特任教授

※役職・肩書・受賞は取材時点のものです。

※役職・資格は取材時点。

撮影/執筆:三宅弘晃

※このインタビューは2026年 6月19日に実施されました。

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