キャリアコンサルタント養成講習、GCDF-Japanキャリアカウンセラートレーニングプログラム。

インタビュー

修了生インタビュー

坂田さかた賢二けんじ

埼玉西武ライオンズ カルチャーデザイナー兼人財開発担当(人材・組織開発を兼務)

球拾いから、文化を育てる

埼玉西武ライオンズ・カルチャーデザイナーの仕事

坂田賢二さんのインタビュー写真

埼玉西武ライオンズの「カルチャーデザイナー」として、組織の文化づくりと選手の成長支援の両輪を担う坂田賢二さん。社会人野球の選手として始まった歩みは、IT教育、野球界初のキャリアサポートの立ち上げ、キャリア開発支援、スポーツを通じた組織開発を経て、いまプロ野球の現場での組織開発・人材開発につながりました。その節目節目には、いつもGCDF(キャリアカウンセリングの学び)がありました。本記事では、坂田さんの歩みと実践を通して、GCDFの学びが、社会にどう実装されているのか、そのリアルを伺いました

野球の原点――「特待生でなければ野球ができない」理不尽への意地

野球を始めたのは、いつからですか。

小学1年生のときに通っていた小学校の野球部に入ってから、ずっと野球です。

そこから、社会人へと続いていくわけですね。

実は、大学で一度つまずいています。進学した大学では諸事情により硬式野球部に入部できず、泣く泣く軟式野球に転じました。諸事情で好きな野球ができないことをすごく理不尽に感じました。「こんな仕組みのせいで、自分の野球が終わるのは嫌だ」と。もう一度硬式野球をやりたいという強い思いが芽生えて、社会人野球部のあるNTTに一般入社しました。

一般入社からの野球部入りは、かなり異例なことだったのではないですか。

内定式の食事会で人事部長に「野球部に入れますか」と聞いたら、鼻で笑われました。しかし「監督に手紙でも書いてみろ」と言われ実際に書いてみたら、なんとテストを実施してくれることになって。軟式野球部出身だということで、通常1日のみのところを1週間の練習参加でテストしてもらい、ようやく合格。最後は人事部長と野球部監督との3者面談で「野球部で活動することで、昇進が遅くなる可能性があるけど大丈夫か?」と問われ、「大丈夫です。野球をやります。」と即答。入部が決まりました。私のわがままを受け入れてくれた会社には今でも感謝しています。プレーできたのは2年間、チームには「運命の日」があって、シーズン最後の大会から戻った翌朝、会社で自席の電話が鳴ったら、それは引退勧告なんです。私の電話は鳴り会議室に呼び出されました。野球部幹部からの「今日の午後から社業に専念してください。2年間お疲れ様でした」という言葉で、私の現役生活は終わりました。

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軸を失って――『7つの習慣』が突きつけた問い

目指してきたものがなくなった後は、どんな心持ちだったのでしょう。

東京の本社に送り出されるとき、上司が『7つの習慣(スティーブン・R・コヴィー著)』という本をくれたんです。読むと、「自分のミッションステートメントを持て」「お墓に何と書かれたいかを考えよ」という問いが投げかけられている。私の軸は野球でした。それが抜かれて、コアがぽっかりなくなった状態なのだと突きつけられて、猛烈に焦りましたね。その頃は、ビジネススクールに通ったり、カウンセリングを受けたり、いわゆる自分探しを必死にやりました。最後にたどり着いたお墓に書かれた文字は、陳腐かもしれませんが、「野球に一生を捧げた男、ここに眠る」。こう書かれたら嬉しいのかな、と考えたのを覚えています。

「結局、野球しかないのか」という葛藤はありませんでしたか。

ありました。当時はまだ20代半ば。Will・Can・MustでいえばCanなんてまだ何もない頃です。野球にしがみついているだけではないか、と。ただ、会社の同期に「坂田君は野球という『軸』があっていいよね。僕らにはないんだよね」と羨ましがられたことがあって、ああ、軸があることは幸せなことなんだ、と思えたんです。あの会話がなければ、野球を自分のアイデンティティにして良いのか、迷い続けていたと思います。

人を育てる面白さ、そして野球界初のキャリアサポートへ

その後、IT教育の会社へ移られます。

はい。教育研修を扱う、いわゆる無形商材の法人営業で、成果で処遇が変わる実力の世界に飛び込みました。実は、いつかスポーツの世界に行くための、足がかりとして選んだ会社です。なので、入社当初は必ずしも教育がやりたかったわけではありませんでした。ただ、担当したお客様の新人研修を丸ごとお預かりして、30人分の研修日報にコメントを返すような仕事をするうちに、人が育つことのそばにいるのは面白い、という感覚が芽生えてきたんです。

そこから日本プロ野球OBクラブへ。野球界として初めて「キャリアサポート」に取り組んだ場ですね。

日本プロ野球OBクラブがキャリアサポートの仕組みを立ち上げようとしていると聞いて、職員募集もしていないのに、手紙と履歴書を送りました。2003年頃です。ちょうどJリーグがキャリアサポートセンターを立ち上げた直後で、野球界でも引退後の支援の必要性が指摘され始めた時期でした。当時のアスリート支援には「両立」を前提とする「デュアルキャリア」という言葉もなく、ほぼ100%が引退後の人生を意味する「セカンドキャリア」です。私は、先行するJリーグに教わりながら、引退後のキャリアに役立つ情報やOBの活躍を紹介する冊子をつくって選手に届ける、そんな仕事をしていました。

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GCDFとの出会い――「また、引っ張りましたね」

GCDFを学ばれたのは、この頃だそうですね。

はい。「こんなに大事な仕事を、何の勉強もしていない人間がやってはいけないだろう」と思ったんです。調べてたどり着いたのが、GCDF-Japanキャリアカウンセラートレーニングプログラム(以下、GCDF養成講座)でした。サッカー界の支援者の方々が学んでいるのに、野球側の自分が学んでいないのはだめだろう、という思いもあり、3ヶ月間、毎週土曜にみっちりと通いました。

受講中のことで、印象に残っていることはありますか。

カウンセリング実習の「逐語録(※)」が大変で(笑)。いまでも覚えているのは、実習のフィードバックで「いま、(クライアントの話題を)引っ張りましたね」「また、引っ張りましたね」と繰り返し言われたことです。ずっと営業でしたから、受注のためにストーリーを組み立てて相手を引っ張る癖が染みついていた。それまで、そんなことを意識しながら人と会話したことがなかったんです。傾聴といっても、聞いているつもりで聞いていなかった。次に自分が何を言うかばかり考えていた。「こういう会話の世界があるのか」。それが、いちばんの後味でした。

(※)逐語録:カウンセリングのやり取りを、一言一句漏らさず、そのまま文字に起こす記録方法。GCDF養成講習では、この「逐語録」を元に振り返りを行う。

「人は自己効力感がないと動けない」――理論が現場で腑に落ちるまで

その学びは、実務でどう機能しましたか。

本格的に効いたのは、人材紹介会社に移って、「転職が決まりにくい」と言われる方々を担当するようになってからです。書類だけでは伝わりにくいけれど、会って話せば、何か良いものが見つかる方たちなんですね。だからじっくり話を聞いていました。短時間で希望条件を聞いてマッチングしていく人材紹介の現場では、たぶん稀有なやり方だったと思います。

その後、再就職支援事業に応援出向、航空会社の方の転身支援に携わります。

出向では、客室乗務員や整備士の方々を80人ほど担当して、ひたすら面談しました。再就職支援の相談に来られる方は、自己効力感が下がっている方が多いんです。そこで痛感したのが、人は「自分は外の世界でも通用する」と思えないと動けない、ということでした。理論として知っていた自己効力感が、現場で腑に落ちた瞬間です。面白いのは、その後、自分自身にも同じことが起きたことです。研修事業の責任者を任せてもらい、講師として手応えをつかんで、「人前で話して伝えることは、いけるかもしれない」と思えたとき、外の世界に目が向いた。クライアントから「文化・スポーツ推進の部署を立ち上げるので来ませんか」と声がかかったのは、ちょうど自己効力感が上がりきっていた頃でした(笑)。

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前例のない仕事のつくり方――スポーツで会社を元気にする

「スポーツで会社を元気にする」。前例のほとんどない仕事だったそうですね。

拠り所にしたのは、国のスポーツ基本計画でした。必死に読み込んで、自社版にアレンジすればいけるかもしれない、と。国の枠組みは練り込まれているので、それをベースに社内の課題にフィットする施策をつくって展開すると、刺さるんです。自社の実業団チーム(柔道、テニス、剣道、駅伝、陸上、ゴルフ、囲碁)の強化。文化祭も運動会もやりました。物流の会社でスポーツ好きの社員が多いこともあって、盛り上がりました。前例がないなら、確からしい枠組みを真似して、自分たちのカタチにアレンジする。このやり方は、いまの仕事にもつながっています。

カルチャーデザイナー――球団の文化を、内側から育てる

そして埼玉西武ライオンズへ。どのような経緯だったのですか。

2022年から、若手選手向けの人材育成プログラム「獅考(しこう)トレーニング」の外部講師を年10回ほど務めていたのが始まりです。せっかくの機会なので、講義のある日は朝から練習に参加して球拾いをして、選手・コーチ・スタッフとの距離を縮めていきました。選手との面談にも入るようになり、関わりが少しずつ広がって。そんな中で「そろそろ球団の中からやりませんか」と声をかけていただいたんです。そんな経緯で、「カルチャーデザイナー」として人材開発と組織開発を担うことになりました。

外部の講師ではなく、「中の人」が必要だった、ということでしょうか。

球団では以前、外部のチームビルディング研修を実施したことがあったそうですが、一過性の施策ではうまくいかなかったことから、球団の中で継続的に組織開発を推進する担当者が必要だという結論に至ったと聞いています。

いまは、どんな仕事を、どんな配分でされているのですか。

人材開発と組織開発で半々です。選手向けの人材開発では、できるだけグラウンドに出て、球拾いなどをしながら選手とコミュニケーションを取り、状態を把握したうえで、獅考トレーニングや1on1、リフレクションなどを実施しています。コーチ・スタッフ向けの人材開発では、「育成のライオンズ」を体現するコーチ・スタッフの育成につながるプログラムを外部パートナーと連携しながら設計し展開しています。組織開発のほうは、観察を通じて見つかった課題を解決するために仲間を集め、仕掛けをつくり、その仕掛けを仲間といっしょに動かしながら解決していく手法を取っています。最近始めたのは、オンラインの雑談の場です。一軍・二軍・三軍の活動は場所も時間もばらばらで、コミュニケーションコストがとても高い。だから夜、オンラインでふらっと集まって雑談する。第1回は、さまざまな部署・役職・年齢の17人が集まり、本当の雑談ができました。地味ですが、これが文化づくりだと思っています。

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「野球は指示待ち人間製造装置」なのか――成長と非認知能力の関係を探究

人材開発の手応えは感じますか。

きちんと測れているわけではない、と最初にお断りした上で。「考えを言葉で伝えられる選手が増えた」という声は聞くようになりました。獅考トレーニングの初期に受講していた選手が、いまでは自分の考えを文章にして社会に発信するようになったり、若手投手がメディアの取材で「考えを整理し、目標設定のやり方を知ったことが成長につながった」と語ってくれたり。座学研修に、選手が前向きに参加してくれること自体も大きな変化です。「頭を使わないと野球はうまくならない」という感覚が、いまの選手には浸透してきている印象です。

今後、探究していきたいテーマはありますか。

「野球は監督の指示通りにプレーするスポーツだから指示待ち人間製造装置だ」と、よく言われるんです。野球は、アウトカウントと走者の位置で24通り、ボールカウントを掛け合わせると288通りの局面が生まれる競技ですが、その一つひとつに監督がサインを出すわけではない。実は、野球は、選手が、自分で考え、自分で判断して動くことも多いスポーツなのです。そんな野球で本当に指示待ち人間が育つのか。主体性は育たないのか。野球で育つ非認知能力とは何なのか。そこを探求し、明らかにしたいと思っています。キャリア支援を学んだおかげで理論の地図があるので、非認知特性のアセスメントなども取り入れながら、仮説と検証を繰り返しているところです。

では、組織開発の抱負は、いかがでしょう。

チームが勝ったから組織開発は成功、負けたから失敗、ではない。人と組織への働きかけを通じて、持続的に価値を創出できるベースをつくり、チームビジョンの実現につなげることが私のミッションです。プロ野球という組織における、組織開発のひとつのモデルをつくれたら、と。小さな成功体験を積み重ねていくしかないと思っています。

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インタビュアーを務めたのは、CCA理事長・平野裕之。

GCDFとは「自分との向き合い方」――これから学ぶ方へ

改めて、GCDFの学びは、坂田さんにとって何だったのでしょうか。

結局、自分との向き合い方を知ったこと、だと思います。キャリアカウンセリングは相手を知るための道具のようでいて、実は一番、自分を見つめ直すことになる。西武ライオンズに来て、人の成長にみっちり向き合うようになって、改めてそう感じています。人のキャリアや成長に向き合えば向き合うほど、嫌な点も含めて、自分と向き合わざるを得ないんです。

具体的には、どんな場面でそれを感じますか。

たとえば、「これは、自分がちゃんと人材開発をやっている風に見せたくて言っているのか。本当に選手の成長を思って言っているのか」と疑わしくなる瞬間があります。選手の成長を思う「愛」からの言動なのか、自分の立場や評価を守りたい「恐れ」からの言動なのか。それを、ものすごく考えるようになりました。自分がここでこの仕事をしていていいのか、球団でキャリアの仕事をしていることに酔っていないか。GCDFでセルフ・アウェアネス(※)の訓練を受けていなければ、こういう自分への問いは持てなかったと思います。

(※)セルフ・アウェアネス:自分の状態・行為・その他意図などに気づくこと・意識化すること

最後に、これからキャリア支援を学ぶ方へ、メッセージをお願いします。

人が変わる、成長する。そのそばにいられるのは、素晴らしい仕事です。そして、自分自身の成長にもつながります。一方で、とても大事な仕事ですから、ちゃんと勉強した人にやってほしい、と心から思います。ただ同時に、「専門性の罠」も感じています。私の同僚には資格を持っていなくても、しっかり選手と向き合い、成長に導いているスタッフもたくさんいます。資格や専門性は武器になることもありますが、それだけで成果をだせるわけでもない。専門性への自負は持ちつつ、学び続けながら、謙虚であり続ける。その両方を持てる人が増えたら、キャリア支援という仕事は、もっと良いものになっていくと思います。

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プロフィール

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坂田 賢二(さかた けんじ) さん

埼玉西武ライオンズ カルチャーデザイナー兼人財開発担当(人材・組織開発を兼務)

保有資格:米国CCE,Inc.認定GCDF-Japanキャリアカウンセラー

プロ野球の球団で、組織の文化づくり(組織開発)と、選手の成長を支える人材開発の両輪を担う。一過性の施策ではなく、組織の内側から、継続的に文化を育てる仕事に取り組んでいる。

略歴

1972年愛媛県出身。小学1年生で野球を始める
1995年大学卒業後、NTTに入社。社会人野球で2年間プレーし、引退後は法人営業に従事
2000年IT教育企業(グローバルナレッジネットワーク)入社
2003年日本プロ野球OBクラブ(全国野球振興会)にてキャリアサポート事業を担当。この時期にGCDF養成講座を受講し、資格取得
2006年リクルートエージェント入社。2010年にリクルートキャリアコンサルティングに転籍。キャリア開発事業に従事
2021年センコーグループホールディングス入社。文化・スポーツ推進担当としてスポーツを通じた組織開発に従事
2021年東京ヴェルディ・バンバータU-15(軟式)の監督として中学生の指導に従事
2022年埼玉西武ライオンズ「獅考トレーニング」における外部講師としての関わりがスタート
2025年埼玉西武ライオンズ カルチャーデザイナー(人材・組織開発を兼務)に就任

※役職は取材時点

撮影/執筆:三宅弘晃

※このインタビューは2026年 6月18日に実施されました。

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