インタビュー
修了生インタビュー
石原洋子
株式会社mimosa 代表取締役。株式会社博展 社外取締役、一般社団法人ミドルシニア・セルフ・エンパワメント協会 理事。
6足のわらじで応援する一歩の踏み出し
会社は卒業しても、人生は続いていく

株式会社mimosa代表取締役、上場企業の社外取締役、一般社団法人の理事、スナックの月一ママ、企業の外部キャリアコンサルタント、そして伊豆・下田のゲストハウスオーナー。「6足のわらじ」を履いて活躍する石原洋子さん。博報堂で営業・クリエイティブマネジメント/子会社運営・人事を歩み、ミドルシニアのキャリア開発専門組織を立ち上げた第一線の実務家です。その転換点には、GCDF-Japanキャリアカウンセラートレーニングプログラムとの出会いがありました。本記事では、石原さんの歩みと実践を通して、GCDFの学びが、仕事・役割・組織、そして人生にどう作用するのかを紐解きます。
「私、なに人になるんだろう」――イギリスで過ごした6年間
石原さんのキャリアの原点をたどると、中学・高校時代のイギリス生活に行き着くと伺いました。
石原さん:父の仕事の関係で、中学1年の夏休みにイギリスへ渡りました。1981年、ちょうどチャールズ皇太子とダイアナ妃の結婚式の年で、あの世紀の結婚式はBBC放送で見ているんですよ。9月に学校が始まると、「マイネームイズヨーコ」しか言えない状態で、100%イギリス人のクラスにポーンと入れられました。東洋人がほとんどいないエリアで、相手が何を言っているのかはわからないけれど、この人は確実に私をバカにしているよね、というのは伝わってくるんですよね。人が言っていることがわかるようになるまで半年。1年経ったころ、私が話したことに相手が「I see」と返してくれた。初めて「通じた」その瞬間のことは、今もすごく覚えています。
宿題を持ち帰っても、現地のイギリス英語が難しくて。父が帰ってくるのを待って、そこから一緒に宿題をやる毎日でした。だから私、反抗期がなかったんです。親に味方になってもらわないと乗り切れない時期でしたから、反抗している暇がなくて(笑)。
ご両親の帰国後も、おひとりで残られたそうですね。
石原さん:4年で父がまた東京へ転勤になったのですが、当時は帰国子女を受け入れてくれる高校がまだ数えるほどしかなく、高2から日本の受験勉強についていけるかも不安で、私ひとり寮に残りました。2週間、一言も日本語を話さないような生活です。国際電話もまだ高い時代でしたから。おかげで英語は、話していると相手が私を日本人だと思わないくらい上達しましたが、今度はカタカナが思い出せなくなり、お箸の使い方が下手になった。ある日、ロンドンへ向かう電車で「この電車、外国人の比率が高いね」と言ったら、友人に「あんた、自分のことカウントした?」と言われて。あ、まずい、自分がなに人だかわからなくなりつつあるぞ、と。「私、なに人になるんだろう」。それがすごくショックで、自分のアイデンティティに対して危機感を感じました。それで、ちゃんと日本人に戻りたくて、日本の大学に進学したんです。
そのマイノリティとしての経験は、いまの仕事につながっていますか。
石原さん:つながっていますね。大勢に見えているものとは違う世界を生きている人たちがいる、という意識です。若い頃は思い出しもしませんでしたが、後に人事でいろいろな方と話すようになって、ああ、こうやって辛い思いをしている人たちがいるんだな、と思いを馳せられるようになった。中学・高校でマイノリティとして生きた経験が、キャリア支援の仕事の土台になっていると思います。

一本のCMが教えてくれた「知らない世界」――広告の道へ
就職活動では「リクルートスーツを着ない」と決めていたとか。
石原さん:夏の暑い時期に、黒か紺のスーツで汗だくになるのが嫌で、オレンジ色と水色の半袖スーツを買いました。このスーツで落とすような会社は私には合わないから行かない。受け入れてくれる会社にしよう、と決めて回っていました。生意気ですよね、今思うと(笑)。
広告業界を志したきっかけは何だったのでしょう。
石原さん:ある通信機器のCMです。会社にいる男性が、雨が降ってきたのを見て「傘を持って駅まで迎えに来て」と奥さんにファックスで送る。私は「普通は電話で言うよね」と違和感を持ちながら見ていました。そうしたら、駅で傘を差して待つ奥さんが、「おかえりなさい」と手話で話したんです。ものすごい衝撃でした。20年以上生きてきて、耳の聞こえない人が電話を使えないという事実に、自分は気づいていなかった。それがすごく恥ずかしかった。身近にいないと、知らない世界がまだまだいっぱいある。それからは、街で白い杖の方を見かけたら、勇気を出してお声がけするようになりました。あのCMがきっかけです。人にこれほど大きな発見をくれる、CMにはそういう力があるんだと信じて、広告の道を選びました。
同じ頃、シニアというテーマにも出会っていたそうですね。
石原さん:出版会社の選考で「入って何をやりたい?」と聞かれて、「これから少子高齢化になるから、シニアの就職情報誌には絶対にニーズがあります。それを作れるのは御社しかいないと思います」と話していました。これもテレビで見たアメリカのCMがきっかけで、白髪の男性と学生が一緒にアルバイトをしている映像に、日本でもいずれ同じことが起こる、と思ったんです。
会社選びでは、女性がどんなふうに働いているかを、各社の男性社員に必ず聞くようにしていました。ある会社では「まあ、みんな頑張ってるよ」。博報堂の方々は「それがさ、女の子のほうが優秀で俺たち困るのよ」と笑う人が多くて。あ、こっちのほうが楽しく働けそうだと(笑)。クライアントの課題解決を通じて世の中に貢献していく「生活者発想」のフィロソフィーにも惹かれて、博報堂に決めました。

40代で目覚めた「学ぶ楽しさ」――営業18年から、経営、人事へ
入社後は営業を長く担当されました。
石原さん:40歳になるまで18年間、営業を担当させていただきました。40歳前後で、何度か流産を経験したこともあり、環境を変えたいという思いが強くなって、営業を離れることにしたんです。次に担当したのが「クリエイティブの価値を上げる」という大きなお題で、トップクリエイター達の子会社を立ち上げる仕事でした。会社法から学んで、株式会社とは何か、設立とは、登記とは、というところからのスタートです。40歳になって新しいことを学ぶのが、こんなに面白いのかと気づきました。法務、経理、総務――それまで接点のなかった方々に助けていただいて、この会社にはめちゃくちゃ優秀な人がいるんだなと、世界が一気に開けた感覚がありました。「会社を立ち上げたいなら石原のところに相談に行け」と言われるくらいになった矢先、46歳のとき上司に呼ばれて、「石原、人事に異動だって」。
まさに青天の霹靂ですね。
石原さん:もう青天の霹靂です。「え、なんで?」って(笑)。当時、グループには子会社が60社以上あって、各社の人事担当から相談を受ける専門部署の部長を任されました。今度は人事まわりの法律を必死に学びました。労務対応、制度変更、初めての新卒受け入れ、シニア制度づくり、メンタル不調のご相談――ありとあらゆる人事の案件が3年間にワーッと押し寄せてきて。給与計算以外はほぼ全部やったんじゃないか、というくらい濃い3年間で、ものすごく勉強になりました。
そこからシニア支援の専門組織を立ち上げることになります。
石原さん:人事は前例をとても大事にする世界で、それが少し窮屈だなと思い始めた矢先に、社内でシニアのプロジェクトが立ち上がったんです。「ちょっと入ってくれない?」と声がかかって、新しい仕事が来たぞ、よしよし、と(笑)。外部のセミナーに通い、いろいろな方に話を聞きに行ったら、1か月ほどで企画書がスラスラ書けてしまった。それが経営企画にすんなり通って、翌2019年、人材開発部門にミドルシニアのキャリア開発専門組織を立ち上げ、責任者になりました。
45歳以上を「ミドルシニア」と定義して研修プログラムを組み直し、キャリア選択の仕組みや報酬制度も変えました。当時は、給与が下がる不満を抱えたまま、自分の意思をあまり持たずに「とりあえず再雇用」を選ぶ方がとても多かったんです。再雇用を選ぶにしても選ばないにしても、前向きな意思を持って選択していただきたい。せっかく会社にいていただくなら、ご活躍いただきたい。そういう仕組みづくりです。そして、そうこうするうちに、人のキャリアを応援するという天職に、出会ってしまったんですね。
「それは気持ちじゃなくて、状況ですよ」――涙があふれた教室
GCDF養成講座に通われたのは、その頃ですね。
石原さん:はい、業務上必要だと思って、2019年に通い始めました。社内のキャリアカウンセラーの先輩が勧めてくれたのと、いろいろ見比べて、変な言い方ですけれど「ここが一番ちゃんとしてそう」と思ったのがGCDFだったんです。キャリアのプロになるとはどういうことか、肌感覚ではまったくわかっていませんでした。40歳で会社のこと、46歳で人事のこと、そして今度はキャリアのこと。何が学べるんだろう、よくわからないけれど楽しそう。そんな感覚で通い始めました。大変でしたけどね。そういえば、私、授業で泣いたことがあるんですよ。
教室で、ですか。
石原さん:先輩のカウンセラーの方がクライアント役で来てくださって、小部屋に分かれてセッションをする回がありました。全然うまくできなくて、その方に「石原さん、今どんなお気持ちですか」と聞かれたとき、「唖然としています」というようなことを答えたんです。そうしたら、「石原さん、それは気持ちじゃなくて、状況ですよ」と言われて。ハッとしました。管理職を意識する年頃から、女性が感情を表に出すと「ヒステリー」と見られがちだと感じて、感情をあらわにすることをずっと抑えて会社人生を生きてきたんです。気持ちを聞かれたのに、答えていたのは「状況」だった。その指摘を受けた瞬間、なんで自分は気持ちを抑えて生きてきたんだろうと気づいてしまって、涙がブワーッとあふれてきました。周りは「何があったの?」と騒然です(笑)。違うんです、今すごく大きなことに気づいて泣いてるんです、って。「気持ちを大事にする」とはこういうことなのかと、目からウロコが落ちた。大きな転換点でした。
広告会社で培った仕事の流儀とは、真逆の世界だったとも伺いました。
石原さん:担任の田中春秋先生(※1)から「広告会社の人は課題解決が仕事なので、きっと苦手だと思います。相手を先回りしようとする気持ちを抑えてください」と言われました(笑)。私たちは「こうじゃないですか」「ああじゃないですか」と、どうしても解決策を提案してしまう。それを我慢しなければいけない。それから、沈黙が我慢できない。顧客の前では、沈黙は絶対にダメだと言われてきましたから。今まで仕事で培ってきたものの真逆をやらなければいけないという意味で、本当に苦労しました。
学科の勉強にも苦労しました。帰国子女で日本の受験を経験していないので、択一問題の引っかけにどうしても納得がいかないんです。国家資格キャリアコンサルタント試験の本番も、一度は不合格で。2回目の挑戦で合格して、2020年に資格を取りました。ただ、振り返って思うのは、資格を持っていること以上に、資格を取るプロセスそのものが、自分の人生に大きな影響を与えてくれたということです。
(※1)田中春秋(たなか・はるあき)先生:GCDF-Japanキャリアカウンセラートレーニングプログラムのトレーナー、CCA特別講師。

学びが「輪郭」をくれた――点と点が線になった日
学んだことは、その後の実務にどう生きましたか。
石原さん:いちばん使っているのは計画的偶発性理論、プランド・ハップンスタンス(※2)です。研修でもキャリアコンサルティングでも、中心のメッセージとして必ずお話しします。チャンスは誰にでも降ってくる。けれど、それに気づいて取りにいけるかどうかは、自分の側に準備があるかどうかで決まる。考えておく、言語化しておく、人に話しておく。「言うだけはタダですからね」って。言っておくと、誰かが気づいて声をかけてくれる。思うことがあるなら、まず声に出すところから始めてみませんか、と。
自信をなくしているシニアの方は本当に多いんです。「営業しかやってこなかったから」とおっしゃるけれど、スケジュールが組める、見積もりが作れる、人見知りせずに話せる、人を巻き込める。一歩外に出ればとても重宝されるポータブルスキル(※3)を、実はたくさん培ってきている。会社の中では誰も褒めてくれないから、ご本人に見えていないだけなんです。もったいないですよね。
(※2)プランド・ハップンスタンス(計画的偶発性理論):米国の心理学者ジョン・D・クランボルツらが提唱したキャリア理論。キャリアの多くは予期しない偶然の出来事から形づくられるとし、好奇心や柔軟性をもって偶然を意図的にチャンスへ変えていく姿勢を重視する。
(※3)ポータブルスキル:業種や職種が変わっても持ち運びできる、汎用的な仕事のスキル。
ご自身にも、点と点がつながった瞬間があったそうですね。
石原さん:以前から懇意にしていただいている慶應義塾大学SFCの花田光世先生(※4)の授業でお話しする機会があり、そのために改めて自分のキャリアの棚卸しをしたんです。資料をまとめていたら、就職活動で「シニアの就職情報誌を作りたい」と話していたことを思い出しました。本当にきれいに忘れていたんですよ。あ、点と点が線でつながっちゃったじゃない、って。だからあの企画書がスラスラ書けたんだ。シニアというテーマは、ずっと自分の中に眠っていたんだ、と。それはすごく意外な発見でした。
体系的に学んだことは、研修プログラムを設計するときの確信にもなっています。キャリアとは何かを一度きちんと学んでいるから、「この人は今、変わろうとしているんだな」というトランジション(転機)の局面も感じ取れる。学ぶ楽しさに火がついて、いまも花田先生の研究会に通っていますし、資格の更新講座はGCDFの豊富なラインアップから関心のあるプログラムを選んで受け続けています。
(※4)花田光世(はなだ・みつよ)先生:慶應義塾大学名誉教授。日本における「キャリア自律」研究の第一人者。

会社は卒業しても、人生は続いていく――55歳の決断
会社に残る道もあった中で、なぜ独立を選ばれたのですか。
石原さん:シニア支援の仕事をしていた頃、大切にしていた考え方が、「会社はいつか卒業するけど、その後も人生は続いていく」ということです。キャリア相談を受けていると、みなさん再雇用が終わる65歳までのことは心配される。でも「65歳以降のことは考えていますか」と聞くと、ほとんどの方がまだ全然考えられていないんです。人生100年時代です。サザエさんの波平さんの時代なら、55歳で定年を迎え、当時の平均寿命を考えれば、その後の10年、15年を悠々自適に過ごせばよかった。今は、その先を30年生きなければいけない。何かしら社会と接点を持っていないと、きっとつまらないし、退屈してしまう。だから私は、長く働くために、早く辞めようと決めたんです。周りからは「もう悠々自適でしょ」と思われるんですけど、いやいや、逆、逆って(笑)。長く働きたい、長く社会に貢献し続けたいから、55歳で会社員を卒業して、その準備をあれこれやっているところなんです。
独立まではスムーズに進んだのでしょうか。
石原さん:4月末に退職して、7月には株式会社mimosaを設立しました。失業給付の手続きに行く間もないくらい、すぐに準備へ取りかかりましたから。実は夫が博報堂の同期で、私より2年早くフリーランスになっているんです。数年前に伊豆の下田に家を建てたので、いまは夫婦それぞれ自分のペースで働きながら、下田半分・東京半分の生活をしています。会社勤めのままでは、この行き来を自分のペースではできないな、というのも独立の理由のひとつでした。
6足のわらじ――すべては「一歩の踏み出し」の応援
現在は「6足のわらじ」を履いていらっしゃいます。
石原さん:はい。1つ目がmimosaの社長として、企業向けのキャリア研修の開発、人事制度や組織開発のご相談、研修講師。2つ目が株式会社博展の社外取締役です。平均年齢30代の勢いのある会社で、社長も私よりずっとお若くて、この会社をどう盛り上げていこうかとご一緒しています。3つ目が、一般社団法人ミドルシニア・セルフ・エンパワメント協会の理事。ライフシフト・ジャパンの大野誠一さんたちと立ち上げた法人で、企業にお勤めのミドルシニアの方々が集まるオンラインコミュニティ「LIFE SHIFT GARDEN」のコミュニティマネージャーも兼ねています。4つ目が「スナックひきだし」の月一ママ。5つ目が、企業と契約する外部キャリアコンサルタント。そして6つ目が、下田のゲストハウスのオーナーです。
下田でも、新しい企みがあると伺いました。
石原さん:下田でもスナックを始めようかと思っているんです。地方では、「私なんか」とおっしゃる女性がとても多くて。いやいや、あなたにも輝ける場面はいっぱいあるし、もう十分頑張ってるじゃない、とお話しするんですけどね。だったら、本業と違うことを月に1回でもやってみる場をつくろう、と。「私がスナックやるから、一緒にやってくれない?」って誘い出す口実です(笑)。それで見える世界が変わるし、新しい自分の発見にもつながると思うんです。
振り返ると、やってこられたことが一貫していますね。
石原さん:40歳で営業を離れて子会社設立の仕事をしていた頃、「子会社を作りたいけれど迷っている人の背中を押す」って言っていたんです。やっていること、ずっと一緒だなって(笑)。ただ、それが自分の中ではっきりしたのは、GCDFで学んでからです。それまでぼんやりしていた「キャリア」というものが、国家資格の勉強を通じて体系的に形づくられて、自分のやりたいことが、はっきりと輪郭を持ったんです。
相談に来られる方は、ご自身のことを信じられていないんですよね。誰もが必ず、輝くものを持っているはずなのに。だから、まず私がそこを信じる。それをとても大事にしています。そして、ここで叩き込んでいただいた原理原則。つまり、私たちは支援するだけであって、一歩踏み出すのは、結局クライアント自身である。キャリアはライフの一部で、その人の人生はその人のもの。ご自身でちゃんと歩んでいっていただかなければいけない。それを常に肝に銘じて仕事をしています。

これから学ぶ方へ――「変わる自分」を経験できる12週間
改めて、石原さんにとってGCDFとは何だったのでしょうか。
石原さん:自分のやりたいことの輪郭を、はっきりさせてくれた存在。やりたいことに気づかせてくれた存在です。一歩の踏み出しを応援するということ自体は、ずっとやってきてはいたんです。でもそれが自分の中で本当にはっきりしたのは、ここで学んだからだと思います。
最後に、これから学ぼうと考えている方へメッセージをお願いします。
石原さん:まず、講師陣が客観的に見ても充実しています。担任制で、ずっと同じ先生に見ていただけたのがとてもよかった。プログラムもしっかりしていて、学びに不足がなかった。みっちりと濃い、「変わる自分」を経験できた12週間だったと思います。人生を変えてくれたと言っても過言ではないかもしれません。それに、純粋に楽しかったんですよ。終わってから仲間と飲みに行ったり、そのとき出会った人たちと今もつながっていたり。修了後のフォローアップ講座も充実しているので、自分のタイミングで学び続けられます。会社の後輩にも「GCDFがおすすめだよ」と、ずいぶんご紹介しました。
国家資格の取得者は、これからも増えていきます。だからこそ、資格を取ることが目的ではなくて、その学びを自分の人生の中でどう意味付けていくかが大事だと思うんです。いろいろな先生や仲間との出会いの中で、意味付けはどんどん深くなっていく。でも、そのベースになるのは、やっぱりここでの学びなんです。

プロフィール

石原洋子(いしはらようこ)さん
株式会社mimosa 代表取締役。株式会社博展 社外取締役、一般社団法人ミドルシニア・セルフ・エンパワメント協会 理事。
国家資格キャリアコンサルタント。
博報堂で営業・クリエイティブマネジメント・人事・人材開発を経て2024年に独立。企業のキャリア開発支援を手がけながら、東京と静岡・下田の二拠点生活を実践している。
博報堂で営業・クリエイティブ戦略・人事・人材開発を歩み、ミドルシニアのキャリア開発専門組織を立ち上げた後、55歳で独立。株式会社mimosa代表取締役として企業のキャリア開発を支援するほか、上場企業の社外取締役、一般社団法人理事など「6足のわらじ」で活動する。「一歩の踏み出し」の応援をライフワークに、東京と静岡・下田の二拠点で暮らしている。
略歴
※役職は取材時点
撮影/執筆:三宅弘晃
※このインタビューは2026年9月2日に実施されました。
